流れる時間 -


マスターがいなくなってしまっても、
私はマスターに命じられたことをやり続けた。
命令が継続可能であるならば、私はそれを実行し続ける。
例え次の命令を出す人間がいなくとも。
現在与えられている命令は、息子の子守と、身の回りのお世話。
彼が塞ぎ込まないよう、また寂しさで笑わなくならないよう、私は懸命に彼の世話をした。
始めは全く動こうとしなかった彼だったが、
少しずつではあるが、徐々に活力を取り戻して行った。
また笑顔が消えてしまうのでは、との懸念があったが、
彼は弱々しくではあるが、

「ありがとう」

そう言って、私に笑いかけてくれた。
マスターの遺骨は、あの丘に埋めることになった。

「ここならかあさんもとうさんも寂しくないよね」

何かをこらえるように呟く彼に、そうですねと、私は答えた。
死人に寂しさがあるかは分からないが、一つだけ分かることがあった。
それは、彼は今きっと、とても寂しいのだろうということ。
私は少しでも彼が安らげるようにと、そっと抱きしめた。
この一年で学んだことの一つだった。

マスターに親類はいなかった。けれど代わりに莫大なお金が残った。
息子を養うには十分過ぎるお金だった。
彼がどのような仕事をしていたかは分からないままだったが、それにしても異常な額だった。
どれだけ働いたのだろう。
どうしてそんなに仕事に熱を注ぎ込んでいたのか。
その時間を、少しでも息子の為にも割いた方がよかったのではないか。
寂しさを知っているであろう人間が、何故寂しい人間に触れてやらなかったのか。
彼は、寂しくはなかったのだろうか。
結局、全て分からないまま終わってしまった。
息子はすくすくと育っていった。
人間の手を借りずに、人の子を自分が育てられるだろうか、
その不安はあったが、しかし彼は順調に成長していった。
嫌いな物も自ら進んで食べるようになった。
学校に入学し、成長するにつれ、外に友人もでき、明るくなっていった。
私はそのことを、逐一マスターに報告しに行った。
この行為に何の意味があるかは分からない、
けれど、息子がそうして欲しいと言ったから、私はそのようにした。
命令ではない。けれど、彼が私に頼んだ。
ただそれに応えたいと、そう思った。
マスターは、彼をどう育てて欲しいと願っただろうか。
分からないけれど、それでもできうる限りのことはやりたかった。
自分にできることをやればいい。
彼がそう言っていたから。
あの言葉も、命令になるのだろうか。
それは分からないが、それでも、ただ私はその言葉に従い、ひたすらやり続けた。

時間は流れ続ける。
息子は、見る見る内に成長していった。
たまに私の中の記憶を辿り、小さかった頃の彼と比較してみて、
その違いに驚き、そして喜んだ。
一生遊んで暮らせそうな遺産を、しかし彼は頼ることはしなかった。
学校を出て、有名な企業に就職し、自ら生活費を稼いだ。
かといって仕事に没頭するわけでもなく、
それぞれの誕生日には、ささやかなパーティを開くことも忘れなかった。
始めの頃には意図が分からなかったこの記念日だが、
誰かに自分のことを忘れないでもらえることは、
幸せなことなのかもしれないと思えるようになっていた。
その頃には私は旧式で、世の中には私よりも遥かに高性能なロボットが出回っていた。
そちらにした方が絶対いいであろうに、彼がそちらを選ぶことは最後までなかった。

「僕のことを置いていかないんだろ?」

疑問を口にした私に、どことなく辛そうな笑顔で彼はそう答えた。
病室で私が発した言葉だった。
覚えていてくれたことが、私は単純に嬉しかった。
えぇ、置いて行きません。
何故なら私は、ロボットだから。
死ぬことなんてないから。
けれど、あなたは死んでしまう。
生きているから。
ならば、せめて最後まで、少しでも寂しさを感じないように。
いつしか、そのような考えが、私の中に芽生えていた。
そして時間は更に流れた。
彼はいつの間にか、立派な大人になっていた。
収入も安定し、地位もあり、人望もある。
けれど彼は、妻を取ることはしなかった。
不思議ではあったが、しかしその頃の私には、
その理由に何となく察しがつくようになっていた。
肉親との別れを繰り返してきた彼にとって、
いずれ来るかもしれない誰かとの別れが辛いのであろう。
誰かとの死別、それは寂しさを生む。
ならば、最初から誰もいなければいい。
そのような発想になることは、予想がつく。
けれどそれは、寂しいことではないのだろうか。
一人で居続けることは、寂しいのではないだろうか。
最初に彼が寂しがっていたのは、独りきりだったからではなかったか。
所詮『それ』でしかない私では、その寂しさは拭えないのではないか。
ずっと一人で生きる寂しさは、誰かとの別れと比較して、どちらが辛いのだろうか。

「何言ってるんだ、君がいるじゃないか」

彼は笑ってそう答えた。
笑顔がマスターに似てきていた。
私は所詮ロボットだと言うのに、この親子は私を人のように扱う。
ただ姿形が似ているだけの、この私を。
それは果たしてよいことなのだろうか。
私には分からない。
ただあるのは、その扱いが、私にとって心地がよいこと。
所詮、擬似感情に過ぎないけれど、
それでも、私を『誰か』として扱ってくれるのは、
何故だか嬉しいものがあった。
寂しさはいまだに分からない。
それでも、私がいることで、彼の寂しさが埋まるのであれば、
それはきっと、私にとってこの上ない幸せなのだろう。


そして日々は平穏に過ぎていく。
彼の両親がいなくなったこと以外、特に何事もなく、ゆっくりと。
けれど、確実に。

そして、その時はきた。




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