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離別 - 「君が来てからもう一年か」
ふむ、と、無精髭を撫でながら、マスターが呟いた。 私はちょうどマスターにコーヒーを入れたところで、そうですね、と、それとなく返事をした。 「何かお祝いをしないとなぁ」 「お祝い、ですか」 何を祝うと言うのだろうか。 人間はやたらと記念日を作りたがるが、 私が来て一年経ったからといって、何も特別ではないと思うのだが。 だがマスターはやけに乗り気で、息子もそうだったものだから、 否応なしに私の誕生日が企画された。 生まれてもいないのに誕生日。 何か違う気はしたが、彼らがそれを望むなら私に拒否する理由はない。 随分と私も大雑把な思考をするようになったと思う。 何か記念品を買ってくるよ、マスターはそう言ってどこかに出掛けていった。 今日は雨なのに、わざわざそこまでして頂かなくても、 と思った時には、既に彼は車に乗り込んでいた。 飾りつけをしないと、息子はそう言って張り切っている。 この一年で、彼は随分と明るくなった。 今日は特に楽しそうにしている。 マスターがケーキを買ってくる、と言っていたので、 それが楽しみなのかもしれない。 私は、自分の記念日などよりも、彼が笑ってくれることの方に喜びを感じていた。 マスターが出て行ってから二時間が経過した。 飾りつけも終わり、いい加減息子が待ちくたびれ始めた頃に、その電話は鳴った。 病院からだった。私は冷静に応対し、息子と共にその病院へ向かった。 青白くなったマスターが、そこにいた。 事故だったと、医者が説明する。 雨で見通しが悪くなっていたところに、横から別の車に突っ込まれたのだという。 相手も即死だったらしい。 マスターの手に触れてみる。 そこに、もう人の温もりは残っていなかった。 病室には、ぐしゃぐしゃに潰れたプレゼントが置いてあった。 元は美しかったであろうその服は、今は泥と血に塗れ、汚れてしまっていた。 隣で息子が泣いている。 どうしてどうしてと、呟きながら。 私は、彼を後ろからそっと抱きしめた。 置いていかないで、彼は父親の亡骸にすがり付いて、必死に呼びかけ続ける。 しかし、マスターが返事をすることはない。 そこに、彼の意識はないのだから。 冷静に分析している私は、やはり人間ではない。 こうして抱きしめているのだって、 その行為が彼に対して最も効果があると判断したからだ。 そのことを思い、少し悲しみを覚えた。 私は置いていきません。 その言葉が、彼には届いただろうか。 慰めの言葉でもあり、自分に対する皮肉でもある言葉だった。 ≪ - ≫ ∠long ∠index |