|
おまけ - ある時代、ある寂れた村に、記憶喪失の若者がおりました。
彼は、何も覚えていません。 自分が何者なのか、どんな生活を送っていたのか、 どこで生まれ、どうやって生きてきたのか。 何も覚えていませんでした。 ただ、気は優しい若者でしたので、周りの人間は彼に優しく接してくれました。 そんな生活に満たされつつも、彼は自分の記憶が戻ることを渇望していました。 自分が何者であるのか、彼は知りたくて仕方がありません。 そんな彼に、村唯一の医者は言いました。 「確かに記憶は大事だ。その人の生きてきた証とも言えるのだから。 だがしかし、戻った記憶がすべて自分にとって都合のいい記憶とは限らないよ? むしろ、忘れてしまいたい記憶があったから、今の状態になったのかも知れない。 なくしてしまった記憶は戻らない。 けれど、新しく記憶を作っていくこともできるのではないかな。 そうやって執着して生きていくことは、悲しいことかも知れないよ」 医者のその言葉に、若者は迷いながらも、答えました。 「確かに、そうかも知れません。 けれど、僕はそれでも、知りたいのです。 どんな醜い過去だろうと、それが今までの私を形作ってきたのですから。 これからの私を作っていく為には、それまでの私が土台として必要なのではないか。 私は、強くそう思うのです。 だから、どんな記憶であろうと、受け入れ、この先を生きていきたいのです」 若者の言葉に、強い信念を感じ取った医者は、その言葉を信じ、 彼の記憶を呼び戻す手伝いを懸命にしました。 その甲斐あって、彼は徐々に記憶を取り戻していきました。 自分の名前。 住んでいた場所。 仲の良かった友人。 記憶を取り戻していくに連れ、彼の表情は、生き生きとしたものへと変わっていきました。 自らを取り戻す。 その行動は、彼にとって何よりも強い原動力になりました。 そして。 とうとう彼が、全てを思い出したその時。 彼は、発狂しました。 何故なら、記憶を取り戻した瞬間、彼は荒れ果てた無人の村に、 独りぽつんと立っていたからです。 優しかった村人達、親身になってくれた医者。 その全てが、村の中からいなくなっていました。 それもそのはず。 この土地に住んでいた、彼以外の人間は、流行り病にかかり全滅し、 残されたのは、唯一流行り病の効かない体質であった彼一人だったのですから。 彼は、記憶喪失などではありませんでした。 全ては、孤独に耐えられなかった彼の産み出した幻想だったのです。 誰もいない村の中で、彼は泣き叫びました。 こんな記憶なら、思い出したくなかった! ずっとあの幸せな世界で暮らしていたかった! これからの記憶なんていらない、ずっとずっと、あの世界で! その悲しみのあまり、彼は自らの記憶を遮断してしまいました。 それだけでは寂しくて生きていけないので、 彼はかつて共に暮らしていた村人達を、自らの頭の中で作り出しました。 優しい優しい世界を作り上げ、その中で彼は、 記憶を失った若者として、健気に、強く生きることを演じました。 それから、彼は幸福と絶望を自ら演出し続け、 やがて、どうということはない病にかかり、死にました。 ≪ - ∠long ∠index |